八瀬赦免地踊り その4

赦免地踊りのためのメモ

八瀬天満宮までのアクセス
●バス
京都バス16・17・18・19系統で「ふるさと前」下車。
帰りは、 四条河原町行 21時50分 国際会館駅行 21時33分が最終。
●自家用車
臨時駐車場あり。バス停「ふるさと前」横で、かなり広いスペース。無料。
八瀬の旧道には一般車両は入れなので注意。京都から行くと、そのまま新道を進んで、駐車場へ。

村のほぼ中心の八瀬小学校前に、八瀬童子会の宝倉があり、灯籠の行列は、そこで集合する。テントがはられ、赦免地踊りの解説書が置かれ、蕎麦や、おにぎり、飲み物なども販売されている。八瀬に着いたら、まずここで、今年の花宿の場所がしるされたチラシ・解説書をいただくのがおすすめ。
前年の灯籠の切り絵が、色紙に貼られて販売されていた。

八瀬童子、赦免地踊りについて参考になる本
宇野日出生著『八瀬童子―歴史と文化』(思文閣出版 2007)
猪瀬直樹著『天皇の影法師』中公文庫
京都文化博物館で開催された『八瀬童子 天皇と里人』展の図録
京都府教育委員会編『京都の民俗芸能』(1975)
京都市産業観光局観光課『京都郷土芸能誌』(1953)

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八瀬赦免地踊り その3

真っ暗な村の道を、灯籠の灯りが行進。幻想的。

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神社の鳥居をくぐり、馬場を進む。神社の石段にさしかかると、行列をととのえ、音頭取りが、道歌を謡いながら進む。

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天満宮の境内では、舞台の正面に櫓が設けられ、音頭と太鼓はその上にあがる。
灯籠着たちは、櫓のまわりをぐるぐると廻る。これを灯籠廻しという。この一連の所作がメイン。

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舞台では、新発地(しんぼち)による三番叟(私たちがイメージする三番叟とは違うもの)を皮切りに、踊り子たちの「潮汲踊」「花摘踊」、余興として長唄、地歌舞などが交互に演じられた。

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最後は、警固が灯籠を戴き、灯籠廻しが行われる。だんだんと早いペースになり、そのまま宿へと帰って行く。

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八瀬赦免地踊り その2

透彫りの切り絵模様の灯籠は、全部で8基ある。灯籠は、灯籠着(とろぎ)と呼ばれる女装した少年が、頭に戴く。
八瀬4町、それぞれに花宿があり、2基ごと出る。花宿では、見学者に酒やお菓子をふるまう。
時刻になると灯籠に火を灯し、村の中心地へと向かう。
村の中心地に集った、灯籠8基、踊り子、音頭取りは、行列して天満宮へと向かう。

花宿・豊田家。灯籠着くん。中学2年生とうかがった。

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花宿・三好家。出発するところ。

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灯籠着の介添えは、警固(けいご)と呼ばれる青年。

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踊り子は、小学生の女の子。少女たちの踊りは、昭和5年に復興されたもの。

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八瀬赦免地踊り その1

昨年の末から今年の初めに京都文化博物館で開催された、「重要文化財指定記念 八瀬童子 天皇と里人」展を鑑賞して以来、ダンナさんが、赦免地踊りの灯籠の美しさに魅せられた。
赦免地踊りを見学したいというダンナさんの強い希望で、昨日、行って来た。
毎年10月の体育の日の前の日曜に執り行われる。

赦免地踊り(しゃめんちおどり)とは、京都市左京区八瀬天満宮社の摂社・秋元神社の例祭に奉納される風流踊で、別名「灯籠踊」ともいう。

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詳しくは、八瀬赦免地踊りの公式ホームページで。→こちら


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2013年納涼古本まつり

毎年恒例の下鴨神社の糺の森で開催される納涼古本まつり。
今年も初日と最終日に行ってきた。

その時々に興味のある本を大量に買い込む。
今回も能楽に関連する本をたくさん買った。

中でも収穫は、松尾恒一著『延年の芸能史的研究』(岩田書院)と、小林莞佶著『京都観世會三十年』(桧書店)。

『延年の芸能史的研究』は、以前に図書館で借りて読んだが、手元に置きたと思いつつ買えなかった本。
奈良の百済書房さん、超格安にて出してくださっており感謝。
ちなみにツイッターでもつぶやいたが、竹本幹夫著『観阿弥・世阿弥時代の能楽』が、なんと4000円で出品されていた。最終日にも売れ残っていたので、欲しい人は百済書房さんに問い合わせるべし。

『京都観世會三十年』は、京都の能楽史に興味のある私にとって、戦中戦後の様子を知る貴重な資料。著者の小林莞佶氏は、丸太町西詰にあった観世能楽堂で事務方を勤められた方。
謡曲史跡めぐりの記事の中では、平家オタクの私が知らない京都市内の平家史跡が載っていた。知っているつもりで、知らないことが山ほどあることを痛感させられた。だから京都って面白い。

疲れたら、ちょこっと休憩。
下鴨神社の鳥居前のさるやさんが、昨年からのわが家のお決まり。

申餅と冷たい黒豆茶のセット、氷室の氷でほっこり。

申餅は、140年ぶりに復活した和菓子。小ぶりで食べ易い。
黒豆茶の黒豆は、お茶をいれた後、塩をつけて食べるようになっている。
わが家の裏技は、黒豆を、かき氷にのっけて食べること。見た目も美しい。
こちらのかき氷の蜜は、黒蜜、抹茶、イチゴとあるが、みな自家製。
かき氷は、キンとくるのが苦手だが、こちらのかき氷は不思議とキンとこない。

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2013年千本六斎念仏(千本ゑんま堂奉納)

今年も六斎念仏の季節がやってきた。

千本六斎会さんによる、千本ゑんま堂奉納。
今年のお獅子は、若い二人。
見事に決まる!

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芸能六斎の華でもある「獅子と蜘蛛の精」の対決!

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百万遍の五刧思惟阿弥陀如来石仏

先日、思い立って、百万遍の知恩寺へお参りして来た。
毎年、春の古本まつりでは、たいへんにぎやかなのだが、それ以外で来ることはめったにない。
閑散とした境内に、御影堂から念仏の声が聞こえて来る。
ここは、念仏の道場なのだなあと、あらためて思う。

浄土宗四大本山ひとつである知恩寺は、賀茂神社の神宮寺であった賀茂の河原屋に、法然の弟子の源智が、法然の御影堂を建て知恩寺と改称したのがはじまりだ。もとは現在の相国寺の北あたりにあったが、転々として現在地に移ったのは、江戸時代に入ってからだ。

この法然の弟子源智には、とても興味がある。
源平動乱のさなかの寿永2年(1183)、平師盛の子として生まれた。平重盛の孫にあたる。
平氏滅亡後、13歳で法然の門に入り、法然臨終の際には、『一枚起請文』を授けられるほどの高弟となっていた。
知恩寺の御影堂の向かって右側には、源智の像が祀られている。近づいて手を合わせた。
御影堂の受付で、梶村昇著『勢観房源智』(東方出版 1993)という本を買う。
源智の父親について、師盛の他にも、敦盛、通盛、資盛、重衡の説もあるそうな。
この中で、敦盛説は、能楽好きなワタシにとっては魅力的。
その根拠のひとつが能「生田敦盛」。
法然上人が賀茂神社へ参詣の途中、捨てられてた子を引き取り育てるのであるが、その子が敦盛の子だという筋。

知恩寺の境内墓地には、五劫思惟阿弥陀如来の石仏がいらっしゃる。
先日、奈良の五刧院で、五刧思惟阿弥陀さまをお参りしたので、訪ねてみた。

知恩寺の境内墓地には、五劫思惟阿弥陀如来の石仏の墓石が3体安置されている。

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ひときわ目を引く阿弥陀如来座像。
首と光背が、後補のもの。

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禰宜さんといく、平安神宮のバックヤード

午前中、まいまい京都さんの京都のまちあるきイベント、「禰宜さんといく、平安神宮のバックヤード~あの大鳥居の小型模型!?応天門から額殿、神苑まで~」に参加してきました。

これがパーフェクトに面白くて、参加させていただいて本当に良かったです。
京都には、まだまだ知らないことがいっぱいで、興味がつきません。

今回の街あるきは、平安神宮の禰宜本多さん、京都岡崎魅力づくり推進協議会の藤井さんの案内で、平安神宮のバックヤードをたずねました。

資料としていただいた『地図で読む京都・岡崎』(京都岡崎魅力づくり推進協議会 定価500円)

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明治28年(1895)、平安建都千百年を記念して、大規模な博覧会(第4回内国勧業博覧会)が開催されました。その博覧会のシンボル・パビリオンとして建設されたのが、平安宮大極殿を再現した平安神宮です。

額殿で、近年発見された大鳥居の小型模型、乾板からデータ化された古写真や設計図を、見せていただきながら、平安神宮についての解説をしていただきました。
大鳥居の小型模型は、長い間、倉庫にねむっていたのだそうです。
古写真の画像を紹介できないのは残念ですが、京都の近代史を知る上で、たいへん貴重なものだと思います。鳥居の模型とともに、ぜひとも常設展示していただきたいです。

下の写真は、大鳥居の模型と、試作の瓦。
瓦は、清水焼の陶工によってつくられたとのこと。

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蔀戸があげられた額殿からの眺めもステキ。

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歴史的な解説の後に、7代目小川治兵衛の作った平安神宮神苑を案内していただきました。
禰宜の本多さんは、こちらがご専門。
神苑にだけ生息する絶滅危惧種の魚や、珍しい植物を終えていただきながら、そぞろ歩き。

面白かったのは、中神苑にある臥龍橋。
豊臣秀吉によって造営された三条大橋と五条大橋の橋脚を使って、龍の姿になぞらえています。
池に写る雲を見ながらこの橋を渡ると、まるで龍の背に乗って空をかけている気分になれます。

平安神宮さまのサイトはこちら→http://www.heianjingu.or.jp/index.html
まいまい京都さまのサイトはこちら→http://www.maimai-kyoto.jp/
京都岡崎魅力づくり推進協議会さまのサイトはこちら→http://www.city.kyoto.jp/sogo/project/okazaki/

今回のまちあるきイベントは、9月9日の11時からKBS放送によって紹介されるもよう。
きっと、ワタクシ、ちょこまかと映っているに違いありません(笑)

以前、平安京探偵団の記事に、西面する「大極殿建築図」について紹介したことがあります。
今の平安神宮の大極殿は南面しており、どのような経緯で変更になったのかと疑問を残す記事でした。
その理由を、教えていただけました。やはり「天子は南面す」との京都市民の世論に拠ったもののようです。

平安京探偵団の「平安神宮」はこちら→http://homepage1.nifty.com/heiankyo/rekishi/reki44.html
※平安京探偵団は、停止中ですが、今回のまちあるきに触発されて、リニューアルして、続けたいなあと、強く思いました。

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2012年中堂寺六斎念・精霊送り

送り火を拝んだ後、西方寺へ行って念仏六斎を見るか、壬生寺へ行って芸能六斎を見るか悩む。
昨年、西方寺へ行ったので、今年は壬生寺へ行くことにした。

中堂寺六斎会は、下京区中堂寺櫛笥町界隈を中心とした地域(中堂寺六斎念仏パンフレットより)。
年齢層が幅広く、講員も多いように見受けられた。

送り火の灯が消えたころ、壬生寺精霊送り法要奉納が、壬生寺の本堂前に設えた舞台で行われる。

祇園囃子の後半には、棒振りが登場する。

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猿廻しには、子供たちが大活躍。

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獅子舞は、六段重ねの碁盤の上で、逆立ちしてみせる。スリル満点。

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獅子と土蜘蛛の対決!
中堂寺六斎の土蜘蛛は、面をつけて黒頭。壬生狂言の土蜘蛛。

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中堂寺六斎会さまのサイトはこちら→http://kyoto6931.com/


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2012年千本六斎会・勧善廻り

千本六斎会の恒例行事は、千本ゑんま堂での盂蘭盆会奉納と、勧善廻りだ。
勧善廻りとは、盆に家々を回り、その門前で、六斎念仏を演じること。今に残る京都の貴重な民俗行事だ。
こうして家々を回り六斎念仏を演じることこそが、本来の形だったのではないだろうか。

今日は、勧善廻りの最終日に同行させていただいた。

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6年前にも同行させていただいて、別ブログで紹介させていただきましたが、サーバーがなくなり、記事が残っていません。ぜひとも伝え残していっていただきたい伝統行事と思いますので、今回、あらためて紹介いたしました。

※毎年、千本六斎会さまは、会員を募集してはります!
「京都の六斎念仏」の後継者志願の方は、ぜひぜひ。
年齢、性別、住所は問わず、会費不要、誰でも入れます。
ただし8月の行事に参加が条件。
私が、20歳若ければ参加するのになあ。残念。
千本六斎会さまのサイトはこちら→http://rokusai.jpn.org/


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