京観世岩井家の歴史
昨日から、京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センターの平成25年度後期でんおん連続講座「謡を楽しむ文化-京観世とその周辺」が始まりました。
それに関連して同時開催しているのが、「 展観:京観世岩井家の歴史」です。
日本伝統音楽研究センター7階展示スペースで、展示されています。
同センターのWEBサイトに、詳細な案内がありますので、ぜひぜひ!
弟子入りするときの起請文の案文とか、面白かったです。
WEBサイトから、以下引用いたします。
京観世岩井家の歴史京都において観世流の謡を伝えてきた主要な家のひとつに岩井家がありました。明治時代、能役者としての岩井の芸の系統は、大西家や大江家等の弟子家に引き継がれましたが、その後も京都の謡の「五軒家」のひとつである岩井の謡は、素謡を楽しむたくさんの素人を生み出し、昭和の中頃までは、「岩井派/岩井流」をなのる素人の謡い手も存在していました。いわゆる「京観世」の謡の様式や、近代の京都における謡の普及を考える際、岩井家、そしてその弟子たちの活動を辿っていくことの意味は決して少なくありません。
この度、日本伝統音楽研究センターは、岩井家後裔の岩井弘氏(本学美術学部名誉教授)より、岩井家に現存する文書や伝書類の寄贈を受けました。寄贈いただいた資料の中には、謡の指南家としての岩井、宗家との取次の家としての岩井、そして能楽の技法そのものの伝承者であった岩井、謡の理論家であった岩井など、江戸中期後期の岩井家の幅広い活動を示す資料が含まれています。
日本伝統音楽研究センタ―「京観世の記録化」プロジェクト研究会では、代表的な資料をテーマごとに分け、解題を付して展観を行います。展観を通じて、岩井氏のご好意に感謝の気持ちを表したいと思います。(大谷節子・藤田隆則)
昨日は、大谷節子先生による「岩井七郎右衛門家と岩井家蔵書」と題した講義がありました。
興味深かったのは、江戸時代の門人帳によると、京都に限らず、弟子が全国に広がっていたこと。
直弟子によって、地方へとまた弟子がふえ、京都流の謡がひろがっていたことになるのかなあ?
禁裏御用の謡が、ひとつのステータスとしてあるのかなあと考えると、おもしろい。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント