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平安京探偵団的『船弁慶』案内

いよいよ笛の社中の会まであと1週間。
以前、別ブログで書いた記事を元に、平安京探偵団的『船弁慶』案内。
下のモノクロ写真は、夜の大覚寺で、静御前になりきっている6年前の私。

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能『船弁慶』

観世小次郎信光作の五番目物。
兄源頼朝と不和になった源義経は、弁慶らわずかの従者を伴って都を落ち、摂津国大物の浦に着く。
弁慶は、後を慕う愛人の静を都に帰すよう義経に進言する。
静は悲観にくれながらも、越王勾践を助けた功臣范蠡の故事をひいて義経を励まし、別れの宴で舞を舞い、都へと帰って行く。
やがて船が海上に出ると、にわかに海が荒れ、平知盛をはじめ平家の怨霊が現われて、義経を海に沈めようとする。
平知盛の怨霊は、薙刀をふるって義経一行に襲いかかるが、弁慶に祈り伏せら、波間に消えて行く。

文治元年(1185)兄源頼朝と対立した義経は、大物の浦から西国を目指して船出します。しかし、激しい風にあい船は難破し、小船一艘に乗換え、和泉浦を指して逃げ去ります(『玉葉』同年11月8日条)。『平家物語』では、平家の怨霊の仕業と語ります。能『船弁慶』では、平知盛の怨霊が現れて弁慶に祈り伏せられます。

大物の浦は、現在の尼崎市の南東部(兵庫県尼崎市大物町)にあたります。
現在は市街地となっていますが、鎌倉時代、神崎川の支流佐門殿川の河口西岸にあった河港で、西国往来の船が出入して栄えました。

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大物主神社は、社伝によると平清盛が厳島神社参詣の際に当地を訪れ、同社を勧請したとされています。境内には義経・弁慶隠家の碑があります。

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神社の周辺にも、義経伝説がいくつか残っています。
大物主神社のそばを流れる大物川は、現在では埋め立てられて緑地公園をなっていますが、大物川にかかっていた大物橋のそばには義経の旅宿があったと伝え、また謡曲『船弁慶』では義経と静は大物で別れる筋になっているのにちなみ「伝静なごりの橋」の石碑もありました。石碑は現在では辰巳八幡神社の境内に移されて保存されています。

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