西浦田楽 7
「仏の舞」の後は、神様たちの舞。
「治部の手」「のたまさ」「翁」「三番叟」と続く。
軽やかに美しく舞う。
これにて地能の33番が終わり、はね能・しし舞・しづめへと続く。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
「仏の舞」の後は、神様たちの舞。
「治部の手」「のたまさ」「翁」「三番叟」と続く。
軽やかに美しく舞う。
これにて地能の33番が終わり、はね能・しし舞・しづめへと続く。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
それまでは、良い写真が撮りたいなあとカメラを構えていたが、シャッターを押すことをためらうほどに感動したのが「仏の舞」。
境内のライトが消された。
観音堂の鰐口の音に合わせ、「トーロヒヤ トーロヒ」の口拍子で、松明を手にした一団が、幕屋を出て舞の庭に向かってやってくる。
観音(千手観音・勢至観音・正観音・せんじ観音・馬頭観音・子安観音)の面をつけ、それぞれの両側に、松明を持った介添えを従えて、ゆっくりと舞庭をまわる。
まさに、神様がやってきたという印象で、とても神秘的だった。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
いったいあなたは誰なの?私には1番意味がわからなかった演目。
「君の舞」では、水干を頭から被り、シッテリと呼ばれる小鼓の作り物を持った親が、長椅子に背中合わせに座った二人の子のまわりを舞いながらまわる。
「田楽舞」は、圧巻だった。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
「舟渡し」の後、「鶴の舞」「出体童子」と舞が続き、その後は、農耕と養蚕の予祝儀礼の演目が延々と続く。
残念ながら何をやっているかわからない写真ばかりなので、すべてを紹介できないのが残念。
「よなぞう」牛が大暴れ。
「殿舞」槍や長刀などのいろいろな道具を持って行列をつくり練り歩く。楽堂の前で、ひとつひとつの道具に対する問答する。
「山家早乙女」 子守りが、ねんねんほうと呼ぶ子供の人形をおんぶして、長い萱の帚、で見物人を叩いて回る。
「山家早乙女」 が終わると 〈くらいれ〉となり、能衆の休憩となる。
「餅つき」太鼓を臼、衣を餅に見立てての餅つき。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
月が真上近くにあがるころ、「舟渡し」がはじまる。
観音堂の灯明の火を、北ダイに移す儀式だ。
観音堂と北ダイに渡された綱を、火をのせた木製の舟がゆく。
綱の下では、両手を大きく降りまわしながら、「デタイドウジ、デタイドウジ」と唱えていた。
舟には、2体の人形がのっている。観音と船頭とも、えびす大黒とも言われている。
「鶴の舞」「出体童子」と続く。
「出体童子」
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
月の出は、午後9時過ぎごろ。山の端が明るくなって月がのぼりはじめる。
庭あがり。石段を松明を持った能衆たちが上がって来る。
西浦田楽の始まりだ。
西浦田楽は、地能33番、はね能12番(うち1番閏舞は、閏年のみ)、しづめ4番で構成されている。
【地能】
庭ならし 御子舞 地固め もどき 剱(つるぎ) もどき 高足 もどき 猿の舞 ほた引き 舟渡し 鶴の舞 出体童子(でたいどうじ) 麦つき 田うち 水な口 種まき よなぞう 鳥追い 殿舞 早乙女 山家早乙女 〈くらいれ〉 種おり 桑とり 糸引 餅つき 君の舞 田楽舞 仏の舞 治部の手 のた様 翁 三番叟
【はね能】
高砂 しんたい 梅花 観音の御法楽 鞍馬天狗 猩々 山姥 さお姫 屋島 野々宮 弁慶 閏舞
【しづめ】
獅子舞 しづめ 火の王 水の王
能衆の中に子供が二人加わっている。「たよがみ」とよばれる役。大人につきそわれ、五方を扇を上下して清める。
西浦田楽を世に知らしめた折口信夫は、『翁の発生』の中で、次のように書いている。少し長くなるが、全文を引用(青空文庫さんより)
西浦田楽のとりわけ暗示に富んだ点は、他の地方の田楽・花祭り・神楽などよりも、もつともどきの豊富な点でありました。外々のは、もどきと言ふ名をすら忘れて、幾つかの重なりを行うてゐますが、こゝのは、勿論さうしたものもありますが、其上に、重要なものには、番毎にもどきの手といふのが、くり返されてゐることです。さうして更に、注意すべき事は、手とあることです。舞ひぶり――もつと適切に申しますと、踏みしづめのふりなのです――を主とするものなることが、察せられます。
大抵、まじめな一番がすむと、装束や持ち物も、稍、壊れた風で出て来て、前の舞を極めて早間にくり返し、世話式とでも謂つた風に舞ひ和らげ、おどけぶりを変へて、勿論、時間も早くきりあげて、引き込むのです。
此で考へると、もどき方は大体、通訳風の役まはりにあるものと見てよさゝうです。其中から分化して、詞章の通俗的飜訳をするものに、猿楽旧来の用語を転用する様になつて行つたのではありますまいか。して見れば、言ひ立てを主とする翁のもどきなる三番叟を、猿楽といふのも、理由のあつた事です。
西浦田楽を見学してまず驚いたのは、一つ一つの曲に必ずもどきが続くことだ。
たとえば「地固め」が終わると、「もどき」といって、短い槍を持って現れた能衆が、滑稽なしぐさで笑わせながら、同じ動作を繰り返す。「剣」「高足」も同様に「もどきの手」とセットで続く。
「地固め」 紅白のたすきをかけて、長い槍を持って舞い、槍先で地をつく。
「地固めのもどき」 注連縄のたすきをかけて、短い槍を持つ。
「高足」 まさに中世の田楽を思わせる。
※西浦田楽に関する参考文献等は、最後にまとめて紹介します。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
日本伝統音楽研究センターの能楽の公開講座の中で、しばしば耳にしていた西浦(にしうれ)田楽。まさに中世絵巻そのものという田楽能にずっとあこがれていた。先月の2月27日(旧暦の1月18日にあたる)、やっと拝見する機会を得た。
もう何日も経っているというのに、毎晩、田楽の夢をみるほど私の中に強烈な印象が残っている。
この印象が薄れないうちに、何回かにわけて書留めておきたい。
西浦(にしうれ)の田楽とは、静岡県浜松市天竜地区水窪(みさくぼ)町西浦所能(しょのう)に伝わる民俗芸能で、旧暦正月18日の月の出から翌日の日の出まで、観音堂の境内で、夜を徹して行われる。
京都からはJRで豊橋まで出て、飯田線で水窪に着く。
水窪の駅から観音堂までは、駅から歩いてすぐの水窪協働センターから送迎のシャトルバス(無料)が運行されている。
私は水窪駅から、同じ電車に乗り合わせた方が頼まれたタクシーに同乗させていただき、シャトルバスよりも早く着くことができ、比較的見易い場所を確保することができた。タクシー代は、2400円ほどだった。
しかしながらベストポジションの正面は、カメラの三脚がずらりと並び入る余地無し。
観音堂を中心にして、鎮守の祠、庚申塔、十王堂がある。
観音堂前には、まつりの時だけの臨時の楽堂が建てられ、その隣には立てられ松明(北ダイ)と、横にされた松明(南ダイ)が設置されている。十王堂は、幕屋となる。
観音堂遠景
観音堂。堂内には、西浦田楽の写真をはじめ、宝暦・天保・享和の年号のある古い絵馬が掛ってた。
楽堂と松明
位置関係。写真は、翌日のはね能。
☆西浦田楽へ行かれる方へのメモ☆
水窪協働センターでは、西浦田楽を紹介したビデオが上映されており、詳しいパンフレット(300円)が売られている。このパンフレットは、ゲットすべし。
観音堂の裏には、うどん、おにぎり、甘酒、お酒、缶コーヒーなどが売られ、暖をとる簡易テントの休憩所がある。しかし、自動販売機はないので、飲料水は必携。
簡易椅子はあると便利。
使い捨てカイロは必携。
煙と火の粉まみれになるので、服装は家で洗えるものがいいかも。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
最近のコメント