百万遍の五刧思惟阿弥陀如来石仏
先日、思い立って、百万遍の知恩寺へお参りして来た。
毎年、春の古本まつりでは、たいへんにぎやかなのだが、それ以外で来ることはめったにない。
閑散とした境内に、御影堂から念仏の声が聞こえて来る。
ここは、念仏の道場なのだなあと、あらためて思う。
浄土宗四大本山ひとつである知恩寺は、賀茂神社の神宮寺であった賀茂の河原屋に、法然の弟子の源智が、法然の御影堂を建て知恩寺と改称したのがはじまりだ。もとは現在の相国寺の北あたりにあったが、転々として現在地に移ったのは、江戸時代に入ってからだ。
この法然の弟子源智には、とても興味がある。
源平動乱のさなかの寿永2年(1183)、平師盛の子として生まれた。平重盛の孫にあたる。
平氏滅亡後、13歳で法然の門に入り、法然臨終の際には、『一枚起請文』を授けられるほどの高弟となっていた。
知恩寺の御影堂の向かって右側には、源智の像が祀られている。近づいて手を合わせた。
御影堂の受付で、梶村昇著『勢観房源智』(東方出版 1993)という本を買う。
源智の父親について、師盛の他にも、敦盛、通盛、資盛、重衡の説もあるそうな。
この中で、敦盛説は、能楽好きなワタシにとっては魅力的。
その根拠のひとつが能「生田敦盛」。
法然上人が賀茂神社へ参詣の途中、捨てられてた子を引き取り育てるのであるが、その子が敦盛の子だという筋。
知恩寺の境内墓地には、五劫思惟阿弥陀如来の石仏がいらっしゃる。
先日、奈良の五刧院で、五刧思惟阿弥陀さまをお参りしたので、訪ねてみた。
知恩寺の境内墓地には、五劫思惟阿弥陀如来の石仏の墓石が3体安置されている。
ひときわ目を引く阿弥陀如来座像。
首と光背が、後補のもの。
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