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中世都市研究会三重大会

060902

中世都市研究会2006年三重大会に来ています。
今日は1日目、見学会でした。
コースは3コースあり、わたしは安濃津・一身田コースに参加しました。
一身田寺内町は、環濠がきれいに残っており、古い町並みに趣があります。
上の写真は津市一身田寺内町の専修寺山門。

懇親会を終え、このブログはホテルで書き込んでいます。
ダンナさんは2次会へ突入。
明日は、本を売ります。

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「お気楽な毎日」カテゴリの記事

コメント

へむれんさん こんばんは。
死体放置の記事のご紹介、ありがとうございます。
最後の狂女の記事は、ぞっとしました。同時に創作意欲もわきます。

明日、うちのダンナさんが斎宮博物館へ行ってくると申しております。よろしくお願いいたします。

投稿: ラン2 | 2006.09.11 22:19

へむれんです。
 こないだお話してました、『日本紀略』に出ていた都市の死体関係記事、こんな所です。西山良平『都市平安京』などでふれているかもしれませんが、ご参考までに。

①延喜八年(908)七月九日条によると、祈雨のため、諸国の定額寺に転経させ、左右京職に路辺の骨を埋めさせた。

②天徳元年(957)六月十日に、醍醐天皇第十四皇女康子内親王が死去。右大臣師輔の妻で産褥死。葬官を任ずるなと遺戒があったので、葬地は西八条東河嶋辺。

③天徳二年(958)閏七月九日。一狂女ありて待賢門の前で死人の頭を食べる。この後、諸門に臥せる病者が生きながら食われ、世は「女鬼」と呼んだ。

 10世紀で目についたのはこういう所です。
①は京職の管轄下の路辺で死体が放置されていて、祈雨の祈願でもないと片付けられなかったこと。
②は例外かもしれませんが、醍醐天皇の皇女でも賀茂川の八条河原に放置葬されることがあったこと(九相図絵巻の世界ですね)。
③は待賢門や諸門の前に病者が臥せていて、狂女に生きながら食われた、というショッキングな話で、大内裏周囲の門が「死を待つ人の宿り」になっていたこと。
 などがわかります。10世紀頃には、穢れが宮内に持ち込まれる環境はごく普通にあった、ということですね。

投稿: へむれん | 2006.09.08 16:50

へむれんさん こんばんは。
お別れした後、へむれんさんの博識ぶりはやっぱりすごい!と、感嘆しておりました。
勉強になりました。
またいろいろと教えてくださませ。
ありがとうございました。

投稿: ラン2 | 2006.09.06 21:11

 コメントではお久しぶりです、のへむれんです。中世都市研究会ではご苦労さまでした。帰りの電車もお付き合いいただきありがとうございました。団長さんとの絶妙のコンビぶりが楽しかったです。
 ちなみに、言い忘れてたかもしれませんので。私は、Ran2さんの出身地からバスで十五分位の城東区の人なのでした。今後ともよろしくお願いいたします。
 

投稿: へむれん | 2006.09.06 18:28

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